スーパーに置いてあった赤い羽根共同募金活動。
幼稚園の時に両親からお釣りをもらって募金箱に寄付したその日が私の支援活動の1日目。
そして大人になり、芸能の仕事を始めていた私は、2010年に宮崎県で起こった口蹄疫の際に個人での寄付を行いました。
この時の私は宮崎県の新聞社の義援金受付で寄付をして、現地で起きている事や、県が義援金を募っている事、寄付先の情報を発信しました。
そうすることが美徳と考えての行動でした。
そして2011年、東日本大震災を受けて、募金活動を初めて行いました。
この時は、私を応援して下さる皆さんに身につけさせてもらった「芸能人」という発信力と求心力を活用して、寄付を募り、皆様からお預かりした大切な支援金を、自分のものと一緒に、然るべき場所へと寄付を行いました。
ただ、その後どのように使われたのかが分からず、必要としている方へ必ず届いているはずだよねと、モヤモヤする気持ちを抱えていたことを憶えています。
その後、2016年に九州で起きた台風被害の際に熊本県と大分県の行政が募集している義援金窓口にそれぞれ500万円の寄付をしました。
その時、支援したくても仕方が分からない人がいるかもしれないと思い、参考になればとの思いで支援先や方法を文言でもお伝えしたのだけど、その際に「本当に振り込んだのか」と言われないようにと、共に載せた振り込み用紙の写真に支援金額が記載されていることから、そのことが大きく報じられてしまい、「偽善」や「売名」という名のもとで、たくさんの誹謗中傷を受けることになりました。
私にとって寄付したお金はもちろん大切なもので、誰かのためになるならという一心で発信したことだけど、それを見て心ない言葉を発信する方々がたくさんいたという事実に、当時はとても傷つきました。
ただ、そのことは今思い出しても胸が苦しくなるくらいの痛みを伴う学びとなり、SNSを活用をする私にとって、情報発信する際の注意点を知る大きなきっかけともなりました。
2017年の九州北部豪雨の際には「九州魂」という災害支援チームにボランティアとして参加させてもらい、代表の吉田医師のもと、被災地でのボランティア活動を学ぶことができました。
現地での対応もしかり、その前に動かなければならない支援物資の受付や取りまとめ、配布などのフローを、陣頭指揮を取られる吉田先生のその姿を持って学ばせていただきました。
吉田先生とは、その後も養護施設の支援など、ご一緒させていただくことが多く、たくさんのことを教えてもらいましたが、その中のひとつに、私には出来なくて「医師」というお仕事をされている先生だからこそ出来ることがあるということがありました。
医療的な処置だけではなく、避難所にいらっしゃる方たちへのメンタルケアを親身にされている先生の姿は、私に「自分だからこそ出来ること」、「芸能人である私がするべきこと」を改めて考えるきっかけを与えてくださいました。
応援してくださる方々に支えられている芸能人が持つ、この発信力や求心力を、有事の際こそ最大限に使うべきだとこの時確信に変わりました。
この時期もまだ、私がSNSで発信することに対しての非難の声は多かったですが、それでも自分の発信で少しでも支援の輪が広がっていくことを願い、発信を続けました。
そして、その後も、養護施設への支援や個人で災害ボランティア活動を続けていく中で、特に災害時に関しては災害直後、役所の皆さんも被災者の方の対応や刻一刻と必要となるものが変わる物資の受け入れや配布の対応、並行して行わなければならない日々の業務に追われてパンクしているところも多く、民間の私たちからの支援金がもちろん然るべきタイミングでは使われると思いますが、災害直後にスピード感を持って「必要物資」という形になって使ってもらうことは到底難しいということも理解しました。
2019年9月、令和元年東日本台風の際に、SNSを通して皆さんに支援物資を呼びかけさせてもらったところ、2日間で4トントラック15台分の物資が集まり、当日から避難所での物資配布を始めることができ、このことでより多くの避難所に物資をお届けすることができました。
個人で行うよりも、皆さんの力が集まればこんなにも大きな力になれるのだと、支援を呼びかけることの大切さを改めて実感することとなりました。
この時はまだ、千葉の被害状況がTVで取り上げられておらず、たくさんの方が物資を待たれている中、私の活動を知ってくださっていた方からのインスタグラムのダイレクトメッセージで被害に遭われたことを知ることができ、改めてSNSのタイムリーな情報やコミュニケーションの有り難みを感じました。
SNS上で被災地にいらっしゃる方とのやりとりによって、次の日には大量の物資を各所にお届けすることができ、そのことがきっかけでまとまった物資支援の道筋ができました。
ただ、この時に、行政では個人からの物資を時期によっては受け入れてもらえないということを知り、翌月に一般社団法人「Think The DAY」を設立。
法人化することで、個人として動けなかった時のもどかしさやタイムラグが解消できました。
そして、災害時に迅速に動くことができるように、災害が起きる前に何か先立って出来ることはないかと、これまで被災された方々から伺ったお話から着想を得て、予防支援に重きを置いた非営利の支援団体として活動を始めました。
もともとは地震などの災害対策のために、予防支援として物資や支援金、活動資金などを準備する団体として設立しましたが、2020年5月には、新型コロナウイルス医療の最前線で働く医療従事者の皆様への支援を開始。
この時、医療の最前線で働く医療従事者の皆様にお話を伺い、寄付の「その先」について考えさせられ、「お金」での寄付だけではなく「物資」にカタチを変えて支援していくこととなりました。
そして、Think The DAY では団体としての初めての試みとして、チャリティー商品の販売を行い、約3万5千人の方々に賛同いただき、利益全額をその時必要とされていたマスクや防護服という医療物資に変えて、医療機関の大小に関係なく、問い合わせをいただいたもとに当団体から直接寄贈させていただきました。
この全ての経験がいまの「Think The DAY」の活動の基盤となっております。
その後Think The DAYでは、国内だけではなく、ウクライナへの寄付活動、海外で起きた地震の被災地への物資支援などを行っています。
2020年夏、NASU FARM VILLAGEという保護馬活動のためのファーム事業を手掛けたことによって、支援物資の備蓄拠点ができ、防災の必要性を伝える広報啓蒙活動に紐づいた防災セットの販売を始めることとなり、仕入れや発送業務にかかった金額以外の利益の全額を被災地支援の活動費として使う仕組みをつくることができました。
そして、私が代表を務めるThink FUTURE 株式会社を立ち上げたことによって、自社のCSR活動(社会貢献活動)として梱包、配送業務を社内で行い、アウトソーシングしないことで利益率も上がり、その分支援に回せることにも繋がっています。
気づけば支援活動を始めて長い月日が流れていました。
諦めず、信念を貫き、個人で活動を続けてきたことが、「Think The DAY」という形となり、チカラを貸して協力してくださる方が今ではこんなにもたくさんいらっしゃいます。
2024年1月1日に起きた能登半島地震で、支援金受付の投稿をみなさんが拡散してくださったことで支援の輪が瞬く間に広がったことも、「偽善」や「売名」などの言葉に怯え、発信することに引け目を感じていた社会の風潮が、いつのまにか私だけでなく皆さんにもなくなってきたことを強く感じます。
大人たちの助け合う姿を見て育った次世代の子供達がボランティアを身近に感じ、支援活動に対しても日常的に興味を持ってくれるようなきっかけになってくれたら、こんなに嬉しいことはありません。
微力は無力ではありません。
世界のどこかで誰かが大変な思いをしている時に、寄り添える優しさを。
個人ではたとえ小さなチカラでも、みんなで集まれば大きなチカラとなります。
今日のこの日を皆さんと一緒に笑顔で生きるために、様々な支援活動を目的とした「Think The DAY」を今後ともよろしくお願い申し上げます。
一般社団法人Think The DAY
代表理事 道休 紗栄子
紗栄子
1986年11月16日、宮崎県生まれ。モデルやタレント、女優として活躍。そのほかアパレルやコスメを中心に様々な商品プロデュースを手掛ける。2020年8月に拠点を栃木県大田原市に移し、NASU FARM
VILLAGEの運営にも参画。また二児の母でもある。2010年より支援活動を始め、2019年10月に一般社団法人Think The DAYを設立。
これまでの支援活動
一般社団法人Think The DAYは、令和6年能登半島地震により被災された皆さまへの支援を強化するため、救援物資マッチングサイトを新たに立ち上げました。
このサイトは、救援物資を必要とする方々と、支援を提供したいと考えている方々を結びつけることを目的としています。
在宅避難や車中泊を余儀なくされている方々にも届けられるよう、私たちはこのサイトを開設しました。
そのことが「Think The DAY」というこの支援団体を始動させる後押しとなりました。
もともと地震などの災害対策のために、予防として物資や活動資金を準備する団体として設立しましたが、最前線で対応して下さる医療従事者の皆様に対して、私たちの感謝の気持ちを形に変えるべく、この団体を始動させることに致しました。